「演劇ほど面白いものはない」を読んで蜷川幸雄がカッコよく思えた話【舞台を知らない人こそ読むべき】
こんにちは!ルーシィです。
あなたは蜷川幸雄さんがなぜ「世界のニナガワ」と呼ばれるようになったのかをご存じですか?
今回紹介する本
『演劇ほどおもしろいものはない』
を読めば、その経緯がわかると同時に、蜷川幸雄さんのカッコよさがわかります。
私は、蜷川幸雄さんのことを、「舞台の怖いおじさん巨匠」としか認識していませんでした。
この本を読んだ今は、蜷川幸雄さんのカッコよさ・優しさを理解することができました。
今回は、その一部を紹介するとともに、この本の魅力について紹介していきます!
この本を読んだ感想
この本は、蜷川幸雄の演劇論を語る解説本ではありません。
蜷川幸雄の一生が中心になっていました。
この本で分かったことなのですが、 蜷川さんは元は俳優だったそうです 。
しかも俳優としては上手く行ってないようでした。(「貴族俳優」と揶揄されるほどだった)
やはり人には向き不向きがあるのでしょうか。
演劇を演出する上では俳優が上手い下手は関係ないようですね。
蜷川幸雄は怖いおじさんのイメージだった
私がこの『演劇ほど面白いものはない』を読む前と読んだ後とはイメージがガラッと変わりました。
怖くて厳しいイメージだったのですが、読んだらイメージが違いました。
優しそうなイメージもあれば、しっかり厳しい一面もありました。
俳優の仕事は、人間を表現するから面白いので、物になるために俳優をやっているわけじゃない。
若い俳優が、嬉しいことや悲しい出来事について人生でいろんな体験を積んで、ある認識に達していく。
老いたり体が衰えたりすれば、深い喜びや悲しみの経験と認識が体に宿り、俳優の演技に反映されます。
その俳優の人生の軌跡が、演技に表れる演劇を組織するのが、僕の演出でありたい。
引用:『演劇ほど面白いものはない』
最後まで演出にこだわりを持っている方だったというのがわかりますね。
学生時代は画家志望
意外なことに、いや意外かはわかりませんが。
蜷川さんは、高校を卒業してから画家志望だったそうです。
芸大にも志望したとか。
東京芸術大学は東京大学よりも倍率が高いで有名ですし、一昔前は40倍以上だったので優れた歓声がないと入学は容易ではなかったんですよね〜…。
芸術好きだった母の影響か、絵画というジャンルから、演劇という芸術にだんだん移って行ったそうです。
新宿小劇場の泥臭い話がカッコいい
蜷川さんは、新宿の小劇場で演出家デビューをしたそうです。
劇場内で、機動隊役の人たちが客席を囲み、劇場の外には本物の機動隊(全共闘の闘争による)が囲んでいるなか。
観客(学生たち)と討論、体当たりや殴り合いをしている様は想像がつきませんよね笑。
そんな政治的にも不安定だからこその演劇を是非体感してみたいものです。
本書に出てくる「商業演劇」とは何か?
本書には『商業演劇』という演劇の種類?のようなものが出てきました。
調べてみたら以下のような意味があるそうです。
利益獲得を目的とした企業的に強行する演劇。
主役ありきでいかに主役を輝かせるかを中心として行われる演劇のジャンルの一つ
商業演劇は、アマチュアや、プロの商業演劇俳優は見くだされる傾向にあったそうです。その理由として、経済的支援の「妬み」が問題だったとか。
蜷川さんも商業演劇の演出を手がけるようになってから、人間関係が壊れていく様が本書にも書かれていました。
世界のニナガワと呼ばれたスコットランド公演
1980年台。
蜷川さんが、イタリア、ギリシャと公演をつづけていき、本場のイギリス・スコットランドでも公演をして高い評価を受け、気づけば「世界的な演出家」になっていたそうです。
ご自身は虚しさのような感情に悩まされていたみたいですが、「世界のニナガワ」と呼ばれるようになったのは、世界進出がうまくいったからなんですね。
蜷川さんがお客に殺されかけた話がゾクゾクする
本書で出てきますが、蜷川さんが観客の青年にナイフを突きつけられる話が臨場感抜群でゾクゾクしました。
「蜷川さん、いま、希望を語りますか?」
蜷川さんの答えは、彼らしい一言でした。
この続きは是非購入して読んでみてください。
まとめ
演劇は正確な期限がわかっていないものの、紀元前からギリシャで成立していたそうです。
日本でも「能」や「アメノウズメの巫女の舞」など古くから演劇という形が成立されていました。
こんな長い年月も受け継がれてきた演劇の魅力に蜷川幸雄さんも魅了されたんでしょうか。
この私も声優を目指しています。
すくなくともこの本『演劇ほど面白いものはない』を読むきっかけを与えてくれたことに感謝しています。
皆さんも是非読んでみてください。